「北海道の人って馬鹿ですよ」
何かあったの?
「接客がひどくって。店のやつらも馬鹿だけど、あれで文句言わない客も馬鹿ですよ」
ふうーん。何?どこのお店?
「電気屋です。よくあんなの出しとくなあ。人材がいないんだからしょうがないんだろうけど。でも、クレームの文化がないんでしょうね」
北海道の人はおっとりしているからね
「いや、それじゃあ駄目なんですよ。関西は、クレームする客がいるおかげで、サービスの質がどんどん上がってるんですから。叱ってあげる文化があるんですよ。ほんと嫌になる」
こう吐き捨てるように言った彼女は、私の会社の後輩で、和歌山出身、先日北海道に出張にいった。
大学も北海道で、バイトのたびにストレスがたまったそうだ。
「そうかあ、そんなに馬鹿なんだ。ところで、きみは今日も遅刻したわけだけど、一言も謝らないんだね。まあでも叱らないよ、なぜなら実は私も北海道出身でね、質の悪い人間なんて気にならないんだ」
とは言わなかったが、まあ、少なからずカチンときた。表現おかしいか。
「埼玉と群馬はどちらが都会か」とか、「なんでマックっていうねん。マクドやろ」とか、そういう異郷同士の小競り合いは、冗談で絡む程度にはいいが、限度を超すと怨恨を残す。その口論の場が一方の陣地であった場合、じゃあ二度とくんな!!!けえれ!!!って怒鳴られかねない。
子供のとき灰谷健二郎が好きで、中学生になってからは田辺聖子が好きになった。
そのせいか、こういうメにあっても、わたしの関西人高感度は比較的高いままだ。
それに、この後輩はおそらくどこに生まれてもバカだ。自分を信じて疑わないやつは、バカだ。
私の中で関西人は、軽妙洒脱で懐が深く、相手に気を遣わせない大人、というイメージがあった。
大学で出会った、関西人の友達はみんないいやつらだった(大阪、京都、三重)。
「笑いの芯」みたいのがあって、そいつがうなづくだけで皆が笑ってしまうような、そういう奴もいた(滋賀)。
でも、やはり関西人バッシングをするやつも結構いた。
関西人側には「それ、意地悪でいってるんじゃなくて、コミュニケーションの一環として・・」という理屈があるが、
こっち側にしてみれば、めんどくさいときは正直めんどくさいんだ。
札幌出身の先輩が、大阪出身の助手(32)のもとで卒論をやっていたときのこと、
「マックでもマクドでもどうでもいいんだよ。なんでってオレに聞くな!!おれはマクドナルドという!!そしてホーマックのことをマックと呼ぶ!!!」
と飲み屋で叫んでた。ホーマックとは、北海道のチェーンのホームセンターで、コメリとかしんしんと同じポジションである。
何があったのかしらないが、「ノリの不一致」にいらついてたんだろうな。わかる。
最初の「北海道の接客サービス」の話に戻る。
まあ、彼女の言うとおりなんである。
おおらかで人がよさそうなイメージもあるが、一方でガサツだ。
とくに「浜言葉」というやつは、汚い。私も高校まで「だから言ったべやー」とか言ってた。
だから自然体で接すると、クレームをうける。
あと、妙に商売ッ気のない人も多い・・・・ような気がする・・・・
電気屋の店員も、商品について質問されても
「あ・・あ・・・ちょっと・・まってください」とか、およそ成人とは思えないような言葉遣いと顔つきで応対され、
説明も要領を得なかったそうだ。
それって北海道だけ?・・・かどうか・・・・・はハッキリとわからないのだが、東京出身の両親も「はじめて来たときはビックリしたわ」というくらいだから、まあ、多分そう。
まあ、それも味だから、ほら、本州の人って、わかんないんだよね、このノリ。別にとまどってるわけじゃなくて、素朴さを捨てたくないっていうかさー、・・・・・通用しないよな。
でも、クレームで育てられるくらいなら、駄目なサービスを許して生きるほうがいいなあ・・・。ぬくぬく。
いや、例えば都心にそびえたつ高級老舗ホテルのフロントマンが「わかんないす」っていったら、そりゃあ駄目だよ。いくらもらってんだよ、っつー話だ。
だけど、店の中で大声で怒る客って、だいたいスーパーの鮮魚コーナーとかコンビニだ。
相手は北海道なら時給700円にも満たない学生がかあちゃんだ。
だからミスしてもいいのか、って・・・いいと思うよ。たいしたミスじゃないんだろ、どうせ。
アイスと雑誌を同じ袋に入れたとか、その雑誌もどうせエロ本か風俗情報誌だろ。
バイトの動機も、「金稼がなきゃいけないけど、あんまり変わった職種はする気ないし、接客も一応やっとくか」くらいの子だっているんだから。
私もああいう場所でいらつくことがあるが、相手に怒るより、「こういう安い場所で買い物する人間なんだから、こういうサービスをうけて当然」と思う。そんなに素敵な接客をうけたかったら、セレブ御用達のお店に行け。
これは職業差別だろうか。コンビニを見下しているのか、私は。
まあ、そこまで必要ない店、くらいには思っている。完全に趣味の問題だが、コンビニはこの世になくてもいい、と思ってる。スーパーも・・・便利だけどゴミ増えるから八百屋・魚屋の自営を廻った方がいい。ここは接客の質はピカイチだからなあ。
だから、コンビニで店のおばさんに、おつりの時に手を添えられたり、今日は豆腐は買っていかれないんですか?って話かけられたとき、そのバカ丁寧な態度にひいた。「そういう店じゃないよ」と。町のホットステーションなのかよ、と。
これを周りにいったら、「お前みたいなやつばっかりが働いてたら世の中破滅する」と言われたが、そうであろうなあ。
でも、あのテのトロい子が、接客程度でよかったじゃないか。原子力発電所とか、運転手とか、サッカー選手じゃなくてよかったじゃん。
ま、あと、クレーム、ってのが嫌いなんだよなあ。その手軽さが嫌なんだ。圧倒的に有利な立場っていうのが気に食わないのだ。
「私は昔接客をしていたから、わかるの。あんなの、うちの会社だったらすぐクビになると思う。」って、あのセリフ、いまでも思い出してニヤニヤしてしまう。友人Mがクレーム処理担当をしていたころ、私の前でマネてくれたのだ。30代の女がよくかけてくるんだって。また30代か。M、30代を憎んでるな?でも、私は妙なそのリアリティにすっげえ声たてて笑ってしまった。Mはモノマネがうまい。
友達から借りたビデオの中に入ってたんだが、本命より真剣に見てしまった。
爆笑問題カーボーイのヘビーリスナーではあるが、爆笑問題のテレビ番組は、「爆笑大問題」以来まともに見ていない。友達が「あの人のツバ飛ばしながら喋るの何とかなんねえか」って言ってたけど、それが太田なんだもんなあ。冷静に喋られたらつまんない。
わたしが見たのは「派遣社員は税金をタダにします」というマニフェスト。
暴論だけど、憲法が保証する「健康で文化的な最低限度の生活」というやつだから、その精神には賛成したい、という意見があった。私もそれに賛成。もっと他のやり方がありそうな気もするけど。
こういう議論だと必ず出てくる「政治もひどいけど、あなたたち努力しなさいよ」という意見は、金美麗が言ってくれた。あの人いいそうなこと絶対言うなあ。
この意見にも賛成・・・はしたくないが、うなづくしかない。過去の自分を思えば、だ。
だが、私はこの「努力」という言葉にひっかかり、この番組を見て3日たっても、それはひっかかったままだった。だからブログに書いてスッキリしたいワケなんだが・・・
私も就職氷河期時代の学生だった。そのときの実感として言うと、就職できなかった人たちというのは、あんまり数を消化してなかった。エントリーシートを出したはいいけど、試験にいかないやつらもいた。学生のうちに内定とることを諦めていた。あれだけマニュアル本には「会社に入ってから何がしたいかを言え」と書いてるのに、「営業です」と答えて、ため息を疲れたという人もいた。田舎だったから、焦らせてくれるものがなかった。都会ならリクルートスーツの集団を見るだけでゾワッとするもんだ。
そういう意味で「努力」していない人は多かった。
私は、というと、かなり順調に進んだほうだったと思う。「努力」もした。気持ち悪いが、「自分の長所短所目標思い出メモリアル」ノートも作った。
しかしそのはじめての会社も、1年でやめた。
アトピーが悪化したためだと周囲は思ってくれてるが、仕事が嫌だったからだろう。ストレスというより、働くのが嫌で嫌で仕方なかった。会社の人間は今でも交友があるし、何が嫌だったのか、今でもわからないが、根本的に働くのが嫌いなんだろう。ここまで読んだ人、行かないで、閉じないで、嫌いにならないで。
仕事をやめてすぐ、うちの父(当時60歳)は「公務員試験を受ければいい。あれなら点数さえとれれば一生安泰だから」と忠告した。いや~、無理だよ、だって1年間(5時間/一日)勉強したのに、1ヶ月しか勉強してないやつより点数低かったんだよ。あんたの娘は想像を絶する馬鹿なのに・・・・。
父は研究職で、就職活動をしたことがない。そんな父にしてみれば、毎日聞くニュースだけが今の若者の苦しみを知る情報源で、「就職活動」というものが得体のしれない地獄のイベントに見えたのだろう。公務員試験なら、「圧迫面接」とやらでうちの娘がいじめられることもない!とか考えたんだろうな。
それから少したって、母に「あれだけ落ちて、テストに向いてないってわかったのに、なんでまた公務員試験すすめるかなあ」と言ってみた。すると母は、
「そりゃあそうよ。あれがお父さんの考えかただもん。頑張ればなんとかなった人だから。頑張りさえすれば報われると思って生きてきたんだから。」と答えた。
うちの父の家は、養子にでなければいけないくらいの貧乏な農家だった。いわゆる戦後すぐの農家だ。
もう貧乏が嫌で嫌で、「貧乏は人をゆがませる」とある日気づいたそうだ。
このまま田舎の商業高校を出ただけでは、オレの人生は変わらない・・・・学がなければ食っていけない
そして高3の春、日本の最高学府の最高峰を目指した。最高最高書きすぎか。東大だよ。
んで、結果を言えば、一浪して入ったわけだが
まあ、私の成績の悪さを罵倒するときは必ずその話を聞かされたんで、書くのも嫌だが、
学校から帰ったら休憩もせず、すぐ机に向かったそうだ。学校が出す宿題に関しては、休み時間のうちにすませたらしい。そのテンションは浪人時代も下がることは無かったそうだ。
当時は、その田舎から東大なんていく奴はいなかったから、わざわざヨソのおばさんが家にきて、「あんた、正気になりなさいよ」って説得しに来るくらいの衝撃度だったそうだ。
だから母の言う、「頑張ればなんとかなった人だから」っていうのは、ちょっと反論できない。我が家の人間は、「努力」の意味が包含する可能性を、父のせいで否定できないんだ。父にすれば「努力」は学歴格差の連鎖すら断ち切るのだ。
そういう父につきあって生きてきたもんだから、ああいった討論の場で50~60の人たちが「もうちょっと努力しなさいよ」といいたがるのは、わかる。あの人たちの言う「努力」の質量は、現代とは比べ物にならないのかもしれない。
父は極端な例だが、「今はヒドイがこれからもっとよくしていこうぜ」という、あの時代の社会が覆うハングリー精神と、やればやるだけよくなっていく日常を経験すれば、「びびってないでガンガンいきなさいよ。私たちの時代なんかねえ」と言いたくもなるはずだ。
しかし、だ。しかーし!!
自分が怠けたいから言ってるわけじゃあないんだが、彼らは、努力の方向について、考えたことがあるんだろうか。いや、どの年代も。
例えば、
大手電器メーカーの幹部が、努力して、努力して、自社のクーラーの売上げを伸ばそうとすればするほど、地球温暖化は進むかもしれないし、
教師が自分の理念を支えに、子供に教育すればするほど、その子供はひねくれて人間嫌いになるかもしれないし、
頑張って頑張って、地元の土建屋のために色々やってくれたムネオは、牢屋に入った。
別に、「人間はいきている限り何かを破壊するのさ」とか言いたいんじゃない。そういう、人間そのものを侮辱する意見は大嫌いだ。
人間の「幸福」について言いたいのだ。
自分やごく傍にいる人間が笑顔でいられるのなら、それでいい、という意見があるとする。それも一つの幸福だ。少なくとも私はそういうタイプだ。
一方で、地球上の誰一人も不幸にしない、という幸福があってもいいはずだ。
私の大学時代の先輩にTさんという男がいる。
Tさんは、なんというか、節約という観念はないのに、誰よりも金とエネルギーを使わない人だった。
Tさんの住む下宿は、光熱費込みでも1万円で済むような、ボロ下宿で、唯一の娯楽はラジオと10円文庫本。
「新品のハードカバーで買ってやれないのは、作者に申し訳ない」と本気で思ってる人だった。
ぼろかったが、廊下や共同台所やぼっとん便所は結構きれいで、というのも、Tさんが掃除するようになってから、他の下宿人が一緒にやりはじめて、今じゃ仲良くなって、恋仲に・・・もはやなにもいうまい。
野菜は下宿の庭で自分で作り、卵は知り合いの農家からもらい、肉類は胸焼けがするから食べなかった。ゴミを出すことがほとんど無いから、ゴミ袋を買ったことがなかった。もちろん生ごみは堆肥にした。モノへの愛着が強い人で、自転車は自転車屋に修復不可能と断られたため、自分で溶接して直した
。本棚は拾った材木で作り、セーターは自分で編み・・・・ってなにこのロハスコンボ。
だが、徹底的に努力できない人だった。年下の私からみても、研究テーマの設定がクソだったし、就職活動について相談されたとき、履歴書を見せてもらったが、見なかったことにしたかったぐらいだ。っていうか、後輩の私と一緒に就職活動やってる時点で色々アレな人だった。
今でも就職できずに、彼なりのやり方で生きてるが、私は彼を幸福な人間だと思う。
Tさんも、努力する人間と同じぐらい、世の中に貢献しているかもしれないのだ。それがTさんのおかげかどうかは知るよしもないし、Tさんも誰にも感謝されない。
しかし、死ぬとき目の前で、「人を幸福にした数」が数字ではじきだされるとする。
そこらの努力した人と、並ぶかもしれないじゃないか。
ちなみにTさんは、税金と年金だけはちゃんと払ってるそうだ。
だが、Tさんの生き方は、例えば、国家の環境対策費削減に貢献してるんだから、ちょっと税金安くてもいいかもしれない・・・・・・わけないか。
極端なことを書いた。でも、たまに、こういうこと妄想したりしませんか?
世の中に、「努力しない人間」は「健康で最低限度の文化的生活」が保障されなくても仕方ないんじゃない?と言いたい人がいる限り、
「努力」っていう過程はちょっと置いといて、「結果」を見てくれないか
「結果」といっても、学歴や仕事だけじゃない
ところで「結果」といっても、どこまでを結果とみなすか、なんだけど、
万物は流転するから
といいたくなるんである。
私にとって、努力とか仕事の価値というものは、それくらいあいまいで、疑わしいのだ。
まあ、幸福論まで出さなくても、やっぱり爆笑太田の言うとおり、「人生には絶対どうしようもないときってのがある」っていうのは、ほんとそうだと思う。
児童福祉施設(育児放棄、虐待被害などの子供をひきとる施設)の保母をしている友人がいる。
高校時代子供達に勉強教えて欲しい、と頼まれたことがある。もちろん断った児童は軒並み成績不振だ。おそらくどこの施設も同じだろう。
それに、「ままごと遊び」もなってないらしく、石をバケツにつめて「ゴハン」なんていうから、
「そんなのゴハンじゃねえ、やりなおし!」とか、そんな具合らしい。
工夫したりする能力が低いんだ、ってことを言いたかったんだろうが。
「どうしても、子供時代に頑張ったことを褒められたり、って経験がなければ、楽しくないことを続ける習慣がつかない。」という。もちろん大学進学なんて発想がない。
これは多分、極端な例でもなんでもない。私の短く狭い人生経験でも、似たような境遇の人間には結構会った。人生相談をうけていろいろ提案する。どうしようもない。どうしようもないときは本当にある。
番組の話に戻る。
あの派遣の人たちをその場に参加させたのは、失敗だったと思う。どうしても個人に対する気分になるから。
「政治もひどいけど、それにしたって」っていうセリフ、大嫌いなんだよ。一応国会の擬似なんだから、政治家っぽくしてちょうだいよ。
ホンモノの政治家までそういうこと言うからなあ。
小泉の「人生いろいろ」発言は、政治家の失言の中でも一番怒りを感じた。あいつには学生時代、奨学金やら、国立大学法人化やら、リアルタイムで辛酸を舐めさせられた。
世の中の悲劇の全ては政治の責任、くらいの負い目がないと、議員はどこまでも暴走する。
じゃ、仕事行ってきやーす。
7月に会社でキャンプをやるのだが、浮き足立つ大多数をヨソに、ひそかにテンションダウンしているインドア派の男達がいる。
なぜかって?
この世の男は全て、心ない女たちによって
モテと非モテ
勝ち組と負け組
火をおこせる組とおこせない組
に分けられてしまうからだ。
キャンプは非日常だ。
単なるレジャーだ。
なのに、火をおこせないで見てる奴ら、テント建てられなくて部品を持ってボーツとつったってる奴は、「生活力が無い」とか言われてしまうんだ。そういう言うテメー、実家通いだろ!
日ごろから仕事がそんなにできなくて、皆からダメな弟として可愛がられてる男なら、「もう、お前はニンジン切ってろ」と厨房の女集団にまわされて、また可愛がられる。
営業部のエースは、できなくても「オレ、こういうのわかんないんだよね」と素直に教えてもらい、来年にはできるようになっているのだ。(こういう奴、一番いいよなあ。)
しかし、日ごろから中途半端にデキる人で、パソコンなんかを教える立場だったりすると、気の毒だ。
「頑張れ頑張れ」とか言われて、余計に傷ついてんだろうな。
他方、我らが火おこしマスターは、風が通りやすいとかなんとか、よく知らん理論に基づいて、火の上に木を組み立てていく。もうキャンプの帰りには上司に「今度家族でキャンプやるんだけど、どんなテントがいいかな」と、すっかり頼られちゃっている。
そして火起こせなかった組には「オレ、家でしかウンコできないからアウトドア嫌いなんだよ」とか呟くやつも出てくる。落ち込むなって~。
ちなみに火をおこせる奴らの中にも色々ランクがあるらしく、
・新聞紙やマッチは極力少ない数ですませる
・乾いた木ぎれを集められる奴は英雄
・チャッカマンとかありえない
などなど、奴らなりのこだわりがある。
また、「電算部の~さんは雨の中でも、マッチ1本と1枚の新聞紙しか使わないらしいぜ」といった武勇伝まで語り継がれる。うちの会社アホしかいないのか。
しかし、キャンプなんてやらないやつは一生やらないんだろうし、どうしたってアウトドアというものが肌に会わない奴はいる。もう遺伝子レベルで決まってるんじゃないのか。
私は、山登りもフィールドワークも好きだが、結局引きこもる場所が、部屋から外に移っただけだ。
一人で、あるいはごく親しい人物といくのが楽しいんであって、
たまに団体ツアーとかち合ったりすると、挨拶めんどくせえ、と繊細な中学2年生に退化してしまう。
おまけにアトピーだから、キャンプとか、風呂は入れない状況は結構きつい。
昔フィールドワーク系のサークルの奴らが、「私たち、1週間風呂は入れなくても平気だしね」とか、「あたし家でもシュラフ使ってるんだよね」とかアウトドアトークをこれ見よがしにしてて、マジでうっとおしかった。これ、被害妄想だろうか(何の)。だってさ、それっぽい単語をちりばめて、「そんなの普通の人は知らないって~」って言うんだよ。よくも「普通の人」って言ったな~!!!
じゃあ、てめえエジプト9栄神のキャラのフルネーム全部言えんのか!?いえなかったらお前も普通の人だかんね。やーいやーい。ばーか、このブログ書いてるやつばーか。
私がいまいち自然派になれないのは、そういった人脈を作れないところにある。
だってそういう「普通じゃないぜ、おれたち」みたいなうっとおしい自意識のあるやつがいるんだもん。かならずいるんだもん。わ・た・し、心せまーい。嗚呼、4畳半ソウル。
そういえば、おぎやはぎの矢作が「女は『変わってる』と言われるのが一番嬉しい」とか言ってたのを聞いて、大当たりすぎてビックリしたことがある。あの女たちのことでねえか~。
もうナマハゲは、悪い子探してる場合じゃないよ。
変わってる女はいねが~、変わってる女はいねが~。一人の時はやらないのに、人前だとわざわざ木の実とって食べたりする女はいねが~。
私は天邪鬼なので、そういう「自意識」に気づいちゃうと、ついつい「普通だよ」「よくあることだよ」「ああ、そういう人多いよね」とか、わざっわざいいコメントをしてしまう。そのときの彼・彼女らの顔といったら・・・「目だけ真顔に戻るけど、口はその動きについていけなかった」感じになる。なんだよそれ。
だがな、「普通の人」なんていうから悪いんだぜ・・・。
みんなそれぞれ変わってるんだ。表面に見えないだけでな。
そういう「オレはオレで誰かじゃない」理論が許されるのは中学生までなのだ!!!。
*コメント返信 えぬさんへ ※反転
脊髄反射ですね、まさしく。
以外に年上に多いから困ります・・・・。
話が長いやつって、何なんだ?
いいたいことは1行ぐらいなのに
思いついたことダラダラダラダラ垂れ流してないで、
一回頭の中でまとめろゴルァ!!
っていうメールが友人Mから来た。
あ、ちなみにMは女です。
考えかたは違えど、わたしが友人Mを好きなのは、いいたいことは極力少ない言葉でスパッとすませるからです。
それだけで友情が続くのか?と思う人もいるかもしれませんが、話しかたというのは、仕事・プライベートに関わらず、人間関係において、最も重要視されるべき事柄だと思います。
親切さ、優しさ、明るさ、マジメさ、などよりも、もっと注目したほうがいい。
友人Mからのこのテのメールはこれまでも何度もあり、どれも複数の同僚の女性のことでした。
今回、友人Mがイライラした相手は、
職場の同僚、独身彼氏なし、一人暮らし、
誰も何も言ってないのにこの境遇の「さみしさ」をやたらと自己申告し、
化粧っ気がなく、服も適当だが、それは「サバサバ」してるからだ、といい、
でも、私だってもっとちゃんと化粧して合コンとかいけば、まだいけると思ってるフシがあり、
食べ物の好き嫌いが多いことを、かわいげだと勘違いしている35歳の女ナニソレ
です。私は会ったことないんですけどね。
友人Mとこのミドルとの会話例をあげましょう。
女「どうしよー、携帯壊れたかも。ただのバッテリー切れかなあ。」
M「あらー、雨だから水入っちゃったのかな?」
女「明日は病院の予約とか友達と連絡とったり色々しなきゃいけないのに」
M「一回バッテリーはずして、乾かした方がいいよ。ドライヤー貸そうか」
女「うーん・・・なんかさあ、こういうときって、一人身はつらいよね。家に電話があるわけじゃないし、
代わりに頼める人もいないし。あたしがMさんくらいの頃はさあ、周囲の男に何でも気軽に頼めた
けど、この歳になると、なかなかねえ」
M「ああ、まあ携帯なんて買い換えればいいんだしさ。買うとしたらどんな機種にするの?」
女「やっぱ買わなきゃ駄目かなあ。金欠なのにー。ああ、とことんついてない・・・Mさんは私みたいに
なっちゃ駄目よ?」
M「('A`)」
万事こういう調子で、あらゆる話題が
「やっぱ独身はつらいわよ」
「でも若い頃なら平気だったなあ」
「(酸いも甘いも経験した賢者の立場として)Mさんは私みたいになっちゃ駄目よ?」
っていう結論になるんだって。
ちなみにMはこのミドルよりひとまわり歳下。
小説と漫画とゲームと映画とラグビー観戦が好きで、80年代以前の歌謡曲、映画、ファッション、ドラマ、にはやけに詳しい。
だから、このミドルの思い出話にも話をあわせられるの筈だが、
このミドル、本も漫画もゲームもスポーツも映画も興味なく、
いったい何を楽しみに生きてるのか、知り合って5年もたとうとしているのに、
まったくつかみどころが無いそうだ。
しかも、思い出話とはいっても
「昔はよくドライブしたな~、Mさんもゲームばっかやってないで、どんどん外に出なきゃ」
とか言うくらいで、
どんな友達だったとか、どこに行ったとか、道すがらこんな事件があった、とか、おすすめのスポットはどこか、とか、まったく具体的な話が出てこないんである。
そのクセ話が長いって・・・その女何を話してるのか・・・?
私はMに聞いたのだが、
「だから、ドライブいったとか、昔はこういう曲がはやってたとか、昨日夜部屋に蛾が入ってきて眠れなかったとか」
な ん だ っ て
んで、このミドルの場合、さらに困るのは、
年上らしく振舞いたいわりには、
経験からくる判断力や、Mより10数年以上多く生きてきたことを思わせるような知識が
一切ないらしいのだ。
雑談でさえ、パッパラパーらしく
女「東京タワー読んだ?いいよねえ」
M「ああ、そんなに面白くなかったけど、~のエピソードには笑った!」
女「え、そんなシーンあったっけ?」
M「('A`)」
女「グーグーガンモなんて、知らないでしょう?」
M「ああ、好きだったよー。つくね姉ちゃんが好きだった!」
女「え?ああ」
M「あゆみちゃんがオナラする話好きだったんだよね~」
女「・・・・・へえー」
M「('A`)」
女「あたし、写真撮るのがすきで、昨日も散歩がてら色々撮ってきた」
M「へえ、どんなカメラつかってるの?」
女「一眼レフ」
M「('A`)」
ま、このくらいにしとくか。
「Mとミドルの往復書簡」ってタイトルにすればよかった。
ただの会話と思うなかれ。
これが5年続いてることを想像してほしい。
大袈裟じゃなく、マジでこんな調子なんだよ~ん。
これが、入社したての若い子なら許そう。
「先に生まれたものしか持たない知識」を披露しようとしてるのに、
生まれてない年下のほうが詳しい、ってこれどういうことだろう。
この会話、たぶん相手がMじゃなくてもこうなるぞ。
またミドルは、話題に関わらず、相手がどんな会話をしたいのか、汲み取れない。
例
M「普段やらないのに、やれないとわかった途端、やりたくなることってあるよね。テスト前の掃除とか」
女「あたし掃除しないんだ~。ズボラだからさ。駄目女でしょ~ふふふ」
M「('A`)」
またお前の話か。うん、駄目女だよ、おまえ。
Mの意図としては、掃除の話がしたいんじゃなく、
例えば、「レポートの締め切りまで時間全然ないのに、布団に入って、このまま寝ちゃったらどうしよう、わたし今すっごい危険なこと考えてるよな~・・・」(岡田あーみんか)みたいな、
「やっちゃいけないことをあえてやっちゃう」話のキャッチボールをしたかったんだと思う。
Mのストレスは日に日にたまり、彼女の愚痴を聞き続けて、
私はその会社の社員以上にそのミドルに詳しくなった。
んで、Mはベストセラー新書「頭のいい人悪い人の話し方 樋口裕一著」を読んだ。
私もざっと読ませてもらったが、ハッキリいって、「皆わかってるよ、そんなこと」くらいの内容だった。
このテの「処世術新書」は、タイトルだけが劇的で、内容ペラッペラなのが多い。
ま、この本は男のサラリーマンと男の上司、という想定で書かれたものなんだが。
まあいい、ミドルに該当する項目がいくつかあったので、ピックアップして概要を説明しよう
高校生くらいの年代なら許されるだろう。しかしいい大人がこれでは・・・。
できねえよ・・・逃出せたら苦労はないんです。
処置なし、ってこと!?てめえ、この本出した意味ないだろが!!!
あのミドルの場合、1回話したことでも、平気で10回くらいするそうで、「その話聞いた」といっても、そうだっけ?って言うんだって。
んで、ワンパターンてのに該当するのが、上述の「わたしって昔は華やかだったんだけど、性格が男勝りなもんだから女としての努力怠っちゃって、今こんなにさみしい状態なんだけど、Mさんはこんなオバチャンになっちゃ駄目よ☆」っていう結論に着陸してしまうところ。
「ミドルさん・・・誰もあなたが寂しいなんて思ってないし、いまどき独身なんか珍しくも無い。何回も同じ話にいきつくのは教養がありませんよ」・・・っていえるか
「最もおろか」発言。
これ、まんまあのクソミドルじゃん。
いや、でもこれ、凄くわかる・・・・。
こういう奴ってヘタにメールでやり取りしたりすると、もうめっちゃくちゃになることあるんだよな。
一度に2つ質問してるのに1つしか返事こないとか。
友人Mのような苛立ちを感じる人は、たぶん多くいる。
Mは、そのテのスレッドをみかけて、「わかるわかる」と嬉々としてうなづいていた。
ミドルの場合、中身までないから、手の施しようがないわけだが、
いろんな知識や趣味をもつ人でも、会話が成り立たない人ってのは、やっぱりいる。
一方的で、自己満足的、一番いいたいことが何か伝わらず、それこそブログで喋ってろ、と。
(そう考えたら、ブログってほんといいなあ)
「要約する」とか「主題をつかむ」とか、そういった能力はどうやって見に付くのか。
脳のつくり、回路の問題っていっちゃえば、そうなんだけどさ。
「英語教育」ってのは、この問題を解決するキーポイントだと思う。
個人的には、子供のころから英会話教室に通うことは、単なる趣味の問題だと思ってる。
うちの父は、仕事のために55歳の時に英会話を習得したが、
毎日NHKラジオの英語講座2年間くらい聞いてなんとかなった(これ、周りに聞いたら、結構いるんだ)。
だが、ものの説明のしかた、つまり論理の組み立てに関していうと、
英語の文章というのは、日本人の文章とは構造が違う。
(高校でリーダーやったことある人なら皆知ってるだろうが。)
半分わすれたが
問題提起→例→反対者と賛成者の意見→自分の考えと結論
だいたいこういう構成になっていたと思う。
まあ、日本人でもこの形式の人はいるか。
個人的には起承転結の順序がばらばらの文章のほうがワクワクして読めるが。
私の場合、こういった文章の書き方はあまり教わらなかった。
たまたま高校の英語教師がクソだったのもあるんだが。
だがセンター試験の英語長文の速読の参考書なら、
パラグラフの1行目を読めばだいたいなんとかなること、などを教えてくれる。
英語の読み方って、
私は 見ました 芸能人を 空港で 朝に
一番重要なことを言って、付帯する話atやinでくっつけてあとから話すと。
これが話のまとまらない奴の場合、
昨日ね空港で芸能人見たの
>へー、すごーい!
昨日はね、友達がこっちに出張でくるからって、ひさしぶりに会おうってことになって、あ、その友達って高校の時の子なんだけど、それで空港まで車で迎えに行ったの。そしたらもー道込んでて、あ、でもいく途中に前行ったカレー屋さん見たんだけど、つぶれてたんだよ、知ってた?で、もう道進まなくって
>・・・・・・・・
話をもとに戻すが、英会話ではなく、英文を参考とした論理立ての訓練を、
「国語」の授業として存分に時間を取って指導するべきだ。
読書感想文だとか、修学旅行の作文なんか、必要ない。
あれがいっちばん文章のスキルを下げるんだ。
だいたい、本の感想なんて、大人でもそうそうかけないぞ。
それに、論理的な人間は、同時に理性的で、公平だ。
多少戦闘的な人もいるが、それは性分で、知性のおかげでなんとか平静を保っている。
頭の良し悪しじゃなくて、豊かな人間の人格形成のために。
考えなおしてくれ、文科省・・・・。
あ、ブログは別ね。
これから書くのは、テレビってみさかいがない、っていう話です。
全部古いエピソードばっかりです、なんで今更、って内容です。
・まっちゃんの「すべらない話」が最近は結構すべってる、っていう噂。
呼ぶゲストがいけないのか、レギュラーのおかんネタもそろそろ尽きているのか。
たまに見る感じでは、おそらく後者、だと思うんです・・・どうでしょうかね?
(ちなみにわたしがこれまでで最も好きだった話は、フットボールの後藤がはじめて彼女を家に呼んだときのエピソード。オチはありがちだったけど、「チーズトースト作ったから」っていう、なんともいえない母ちゃんのセンス・・・こみあげるものがあった。)
この番組の何がすき(だった)かって、「これから、面白い話をします」と銘打って、
本当に良質の笑いを届けてくれるっていうのが、
テレビにしては、正直で、誠実だからだ。
たとえ今、すべり気味で、無理やり笑ってやり過ごしているとしても、
この番組の精神が好きだ。
今じゃ普通の光景だが、「CMのあと、~大激怒!!」って気をもたせといて、ただ大声でジャレあってるだけだったり、「~の爆笑エピソード!」って煽っといて・・・・もう、書かなくてもいいか。
まっちゃんのことだ、たぶん近いうちあの番組をやめる。
みさかいの無いテレビのやりかたに、ある程度批判のある人だった、と思うしな。
当然、周囲の非難にも気づいてるだろう。
もしくは、スパンを長くとるか・・・?
個人的には、あの番組やめて、「考えるヒト」での細山君、竹森とのお笑い名勝負をもう一度見せてくれ、といってみる。ああ、こういう視聴者の気持ちが、テレビをみさかいなくしちゃうのかな。
足りないくらいがちょうどいい、って言うしな。
・「愛されるボク」ブームでやっちゃいました、やぎらゆうや(漢字シラネ)とYOUの車のCM。
友人Mは、「YOUをああいうポジションに置くセンスが間違ってる!!そこまでの女じゃない!黒木瞳とかならまだ許せる。そして、あの小僧がきもい!!」って言ってたんだけど
私はもう、あれがどんなキャストだろうと、次にあのCMを見たとき、プッツンするぜ、と。もうやってないけど。
「バイト先に自分の母ちゃんがきたときの憤り」について、伊集院が言ってたこと(深夜の馬鹿力より)を鵜呑みにするわけじゃないけども、アレを見て、「うん、母ってなんかいい」って感慨にふけるのは、難しいだろ。
あと、YOUって、ここ数年でもうれつにフケたよなあ・・・。ゆるふわパーマの申し子が、何か今はみすぼらしい。いや、YOUがすきですよ、私は。
東京タワーもがばいばあちゃんも、見てません、だからそれ自体を批判はしない。
きっと凄くいい話なんだろう。家族モノてのは、いいんだよなあ。
で、二番煎じまでは、それもなるべく批判しない。人々がそれを欲してるのなら。
でも、このCM、四番煎じ・・・いや、もはや煎じてもいないのか。茶がらを変えろ・・・
・理想の上司?だかに選ばれた、21世紀の日本の『アネゴ』、篠原お姉さんの携帯のCM。auだったっけ?
あれさあ、苦情こなかったのかなあ。
パターン①
「泣き顔かわいー」て・・・・んで、「部下と携帯はうまく使え」・・・?だったっけ、わすれたけど、
そんなコピーが入る。
職場で泣くやつって、いんのかな?個人プレーの仕事だから、働く同僚ってのを見たことないな。
まあ、いるんだろうな。
ま、わたしは、トイレの壁に向かって、氷の装甲を纏ったギアッチョ並にガンガンガンガンやっちゃったことあるけどね☆これが落着くんだよね~ あれ?馬鹿じゃん、わたし
あのCM、もし後輩が、「オレ馬鹿だから、もっとわかりやすく言ってください」とか言ってふてくされる、しかもブサメンだったら、あの携帯どう使えばいいんだろう。もう、武器にしかならないのか。
あれ?こんなことを書きたかったんじゃなくて・・・え~と
ま、とにかく、あんな職場、キモイ!!!
パターン②
デコメール?みたいなやつの話。後輩の若い子の携帯をみて、
「あたしも作ってみた!」というその画面には、
「惚れたぜ!!」とかいうなんかよくわからんセンスの・・・・ああ、説明できない。
で、周囲の微妙な反応をものともせずに、
「送っちゃった」・・・・「送っちゃったの!?」
「あーあ、こんな調子だから、先輩嫁にいけないんだぜ、ま、でも私たちは貴女の味方!」
みたいなニュアンスだと、そうお見受けしました。
このCM、決めたやつらは、何を考えて、こういう結果になったんだろう。
「せっかく篠原涼子を起用するんだ、彼女のアネゴキャラを利用しない手はない」
「じゃ、オフィスの設定で」
「やっぱアネゴってのは、ただのかわいい女の子とは違ったセンスがほしいよな。男前な感じ」
「でも、その男前とたまに見せる隙,そのギャップが魅力なんですよね。オツボネとアネゴは違うからなあ」
って、さすがに、ここまでアホ全開の会話はしないだろうが、
あのCMで感じ取れる「アネゴ感」ははっきり言ってこのレベルだ。
おまけに本家本元のドラマ「アネゴ」も、このレベルを超えることはない。
って、ずいぶんハッキリ言っちゃうけど・・・・うん、だって「しゃらくさい」んだよな。
アネゴというキャラクターを肉付けする要因としての「サバサバ」も、
所詮は、同性の敵を作らず、でも男が許容する範囲での「サバサバ」だ。
って、この話は、今後少女漫画の感想文で詳しく書きたいから、置いとく。
段落の1行目に「苦情こないのかなあ」と書いたが、
そうは言っても何て苦情言っていいのかわからないよね。
「本物のアネゴはあんなもんじゃありません!!」でもないし・・・
「仕事中携帯いじくってんじゃねー!!ド低脳がァー!!!」でもないし・・・
「CMだから、時流に乗るのは当然だ。でも、深く掘り下げるセンスもないのに、使い古すなよ、
人はすぐ見抜くぞ」・・・うーん、弱いなあ・・・・
なんで、今頃こんな話してるんだ?
*コメント返信 えぬさんへ
ありがとうございます。リンク、ご自由にはっちゃってください!
ここはリンク・アンリンクは自由ですし、報告も、していただけたら嬉しいけど、
ま、しなくてもまったく問題ありません。