友人Mは、ジブリが大嫌いである。
理由は、「この意味わかるかな?君達。これは君達への宿題だよ、フフッ」みたいなメッセージ・フロム・パヤオがけったくそ悪いそうだ。
「たいした作品でもないのに、自分は考えてますよ、一般人は頑張ってついてこいよ、って大作ぶる態度が腹立つんだよ」と
いや、気持ちはわかるけどさ。私もそこまで熱中してジブリを見てるわけじゃないからな。
このMの意見に全面的に賛成できないのは、一つに、Mがある作品を批判するとき、「自分は本当に理解したうえで批判しているのか?」と自分を疑う姿勢がないからだ。相手を疑うなら、自分も疑わないと。
もう一つは、Mはジブリ作品そのものよりも、それらを敬愛するファンが大嫌いで、そこから派生してジブリそのものをけなすようになった、と思われるからだ。
Mは、映画が好きだ。2日に1本は見てる。
んで、嫌いな映画について語るとき、
「今日見た映画クソだった。すっごく映画が大好きですっごく映画を見ていてリスペクトしているひとが、
理由は、「この意味わかるかな?君達。これは君達への宿題だよ、フフッ」みたいなメッセージ・フロム・パヤオがけったくそ悪いそうだ。
「たいした作品でもないのに、自分は考えてますよ、一般人は頑張ってついてこいよ、って大作ぶる態度が腹立つんだよ」と
いや、気持ちはわかるけどさ。私もそこまで熱中してジブリを見てるわけじゃないからな。
このMの意見に全面的に賛成できないのは、一つに、Mがある作品を批判するとき、「自分は本当に理解したうえで批判しているのか?」と自分を疑う姿勢がないからだ。相手を疑うなら、自分も疑わないと。
もう一つは、Mはジブリ作品そのものよりも、それらを敬愛するファンが大嫌いで、そこから派生してジブリそのものをけなすようになった、と思われるからだ。
Mは、映画が好きだ。2日に1本は見てる。
んで、嫌いな映画について語るとき、
「今日見た映画クソだった。すっごく映画が大好きですっごく映画を見ていてリスペクトしているひとが、
俺ならCGとか特撮とか派手なキャストや脚本で誤魔化さない、人間味がある映画を撮れるって勘違いして作った映画って感じがする。ハリウッドを否定して、ヨーロッパ映画とか香港映画を絶賛するような。
ヨーロッパの映画なんてクソつまんないよ。そのつまんなさを求める為に見るときもあるけど。
カリビアンなんてクソ。でもスターウォーズはいい、とか平気で言っちゃうような。」
といった具合の悪口雑言が繰り出される。
といった具合の悪口雑言が繰り出される。
管理人自身は、映画は年に1本見るか見ないかなので、よくわからないが(反省)、
おそらくMは、今までの人生で、友人との意見交換、2chやミクシーの映画板、個人の映画批評サイトなどで、自分の好きな映画を上述のような意見でけなされてしまったのではないだろうか。
「ハリウッドなんてお子ちゃまが見るんだぜ~、こういうの見るのがほんとの映画ツウ」、とか・・。(うわあ、むかつくな!)
んで、ジブリの話にもどると、おそらくMは、ジブリ映画について「これが理解できない奴らはクソ。~をただの冒険ものとしか見れないやつらって何なの。ジブリ見る資格なし」とか、そんな意見をいっぱい聞いちゃったんじゃないだろうか。いや、実際いろんな掲示板で読んだって言ってたな。
「あの描写はこういう意味がある、と宮崎駿が言ってたよ」「あの人物設定はおそらく宮崎駿の生い立ちが深く関係して」とか、そういう考察トークを見て、
「なんでそこまで考えてやんなきゃならねーんだよ!言いたいことは映画の中でいえ!予備知識がないと理解できないなんて、あのオッサンに映画で伝える技量が無いだけじゃん!!それができないならクソ映画ってことだよ!!!」
という結論に達したのだ。
そういうわけで、Mは「考えさせようとするもの」は徹底的に排除し、
「これ、このくだらなさが素敵だよね~」と食いタン(東のドラマ)や只野仁を絶賛し、
「気取らず、作りすぎずに女の本音さらけだすわよ」的な共感型漫画(Feel young、コーラス系)をクソミソにけなすようになったのである。
そして、「のだめカンタービレなんて、クラシック好きって言ってハイソぶりたい奴が読んでるんでしょ」、
といった、「ゲスの勘繰り」を「あえて」する人間になったのである。
確かに「私はわかってるわよ。この意味がわからないの?愚民ども」
とか言われたら(いるのか、そんなやつ・・・)、腹立つよね。
「ドラゴンボールは子供時代までが神。サイヤ人が好きなやつらはミーハー」とか、「ジョジョ3部以降しか読まない奴って、人生損してる」とか、言う輩は高校時代リアルでいたけど、「うっせえ!!」って鼻フックしたくなるよね。作者にいわれたんなら納得するしかないけど、ファンってだけで、何を貴様らそこまで威張るのか、と。
でも、同じ考えるんでも、「ゲスの勘繰り」より、「ブってる考察」のほうが、何か得るものがあるかもしれないじゃないか、と思いたい。考えることは、なるべく放棄しないほうがいい。
何より、Mがよく言う「このくだらなさがいいよね」っていう感想、言っちゃったもん勝ちなんだよなあ。
もう先手必勝で何も言わせない。「冗談通じないの?」ってやつだ。
(それにしたって、食いタン、そこまで面白くねーぞ、私は)
んで、一度「自分の理解力が無いという可能性は考えないの?」って言ってみたが(やんわりとね)、
「そんなことないよ。私は世間がわかりづらい、というハギオモト作品を愛してるんだから!
わかりづらいから嫌ってるんじゃないの!わからせる技術がないんだよ、宮崎には」
と怒られた。
Mよ・・・それは君が嫌う「ナルシスト批評家」と同じ穴のムジナだぜ・・・。
しかし、こういうMの意見に対して、不快感を感じながらも、反論できないのは、ジブリ映画を1~2回くらいしか見てないから・・・じゃなくて、恥ずかしいんだよね。
よくある映画のCM「考えさせられました!」っていう客のワンショット。あれ、すげー恥ずかしいよね。
何も考えてねーだろ、って、ついチャチャを入れたくなる。いや、ほんとはめちゃくちゃ考えさせられて、
人生観変わったかもしれないんだから、馬鹿にすんのはやめなきゃ。
とは言っても、「こう考えたよ」って人前で言うのって、恥ずかしい・・・。
それに、こんなふうに「考えさせてくれ、なんて頼んだ覚えはねーよ」っていうMのスタンスは、ある意味うらやましい。
私なんて、読書感想文のたびに、「こんな感想しか思いうかばないなんて・・・作者ゴメン」って泣きながら書いたクチだから、中学生まで本嫌いだったもんね。
話を戻そう
Mが、パヤオを「映画で伝える技量がない」と判断したシーンをいくつか挙げると、
・魔女の宅急便で、最後トンボを助けて魔法の力が戻ったのに、ジジが喋れないのはなぜ?
・千と千尋の神隠し、で、千尋の母さんがなんであんなにつめたいの?
いくつか、って言ったけど、そんなになかったか。他にも色々あったけど、わすれた。
Mに言わせれば、「思わせぶり」なんだって。映画の中だけで判断できないものを断片的にいれて、
単純な観客を惑わしている、と。
というわけで、恥ずかしさを捨て、次にMに会うときの為に、上の「ジブリの思わせぶりシーン」について私なりに考える。とりあえず、魔女の宅急便について。
●魔女の宅急便
魔女の宅急便て、ジブリの中でもテーマがかなり明確だよね。たぶん。
この年頃の子って、今まで意識しなかったものを急に意識しだして、
好きだったものが急に嫌になっちゃったり、
自分も誰も傷つけたいとは思わないのに、自分が可愛くて、周りを傷つけたり。何かとスムーズにはいかない。
私なんか、13歳て言ったら、そりゃあ、暗澹たる時代だったなあ・・・。
だから画家の女との対話のシーンなんか、うらやましかったよ。
先に迷ったことのある人間と触れ合える機会って現実じゃ、そうそう無いしなあ。絶対あったほうがいい。
んで、最後は大事な人を救う過程で、自分の魔法を使う目的が見えて、迷いが消えて・・・・
でもこの作品、これが正解、とは言ってないよね、たぶん。
この「人を救う道」も、一つに過ぎない、と。
このクライマックスはたまたま、友人の危機に遭遇した場合の話で、
じゃあこれがなかったら、キキは自分の価値を見出せないままなのか?っていうと、そうでもないと思う。
ここまで派手なイベントがなくたって、人間は生きていく以上、身の回りで起こる物事を前に、
立ち止まって、色々考えるのだ。少なくとも、キキにはそういうふうにできる素地があると思う。
あのクライマックスを「たくさんあるうちの一つ」といいたいのは、人が自分の価値を考えるとき、「人のためになる」ことを大前提とするのって、結構危うい考えじゃないか、と思うのだ。
だって、必ず自分の周りには不幸な人、不自由者がいないと報われない、っていう構図に結びつく危険があるから。頼られることに最大の喜びを感じるのって、どうなんだろう、って思っちゃうんだ。別にボランティアとかを否定してるわけじゃないよ。
あくまで、「人のためになることが一番」ってわけじゃない、というわけ。いろんな人生の喜びがあるからこそ、人間て面白い。
キキが飛べなくなって、ほうきが折れるまで練習、年上のよき相談者との対話、それから、不恰好なデッキブラシをまたいで飛ぼうと苦心するまでの下りってのは、「人が自分の人生を試行錯誤する姿」をわかりやすい形に凝縮した、かなり濃厚なドラマだ。
キキはこれからも色々悩むだろう。だけどキキは、迷うことを怖がらない強さを手に入れた、と思う。
だから最後にやっぱりジジと言葉が通じなくても、優しくほお擦りする(このときのキキの表情はイイ!)、安心して問題を受け止める、そんな可能性を見せてくれるのだ。
ああ、いい映画じゃねえか・・・。感想というよりも、自分がそう思いたい、っていうのが先行してるかもなあ。
でも、いろんな解釈が生まれる映画ってのは、やっぱり面白い映画だとみなしていいと思う。
ま、とにかく、今日の結論は
けなすのは作品だけにして、それを好きな人までけなすのはやめようぜ、ってことだよね。
おそらくMは、今までの人生で、友人との意見交換、2chやミクシーの映画板、個人の映画批評サイトなどで、自分の好きな映画を上述のような意見でけなされてしまったのではないだろうか。
「ハリウッドなんてお子ちゃまが見るんだぜ~、こういうの見るのがほんとの映画ツウ」、とか・・。(うわあ、むかつくな!)
んで、ジブリの話にもどると、おそらくMは、ジブリ映画について「これが理解できない奴らはクソ。~をただの冒険ものとしか見れないやつらって何なの。ジブリ見る資格なし」とか、そんな意見をいっぱい聞いちゃったんじゃないだろうか。いや、実際いろんな掲示板で読んだって言ってたな。
「あの描写はこういう意味がある、と宮崎駿が言ってたよ」「あの人物設定はおそらく宮崎駿の生い立ちが深く関係して」とか、そういう考察トークを見て、
「なんでそこまで考えてやんなきゃならねーんだよ!言いたいことは映画の中でいえ!予備知識がないと理解できないなんて、あのオッサンに映画で伝える技量が無いだけじゃん!!それができないならクソ映画ってことだよ!!!」
という結論に達したのだ。
そういうわけで、Mは「考えさせようとするもの」は徹底的に排除し、
「これ、このくだらなさが素敵だよね~」と食いタン(東のドラマ)や只野仁を絶賛し、
「気取らず、作りすぎずに女の本音さらけだすわよ」的な共感型漫画(Feel young、コーラス系)をクソミソにけなすようになったのである。
そして、「のだめカンタービレなんて、クラシック好きって言ってハイソぶりたい奴が読んでるんでしょ」、
といった、「ゲスの勘繰り」を「あえて」する人間になったのである。
確かに「私はわかってるわよ。この意味がわからないの?愚民ども」
とか言われたら(いるのか、そんなやつ・・・)、腹立つよね。
「ドラゴンボールは子供時代までが神。サイヤ人が好きなやつらはミーハー」とか、「ジョジョ3部以降しか読まない奴って、人生損してる」とか、言う輩は高校時代リアルでいたけど、「うっせえ!!」って鼻フックしたくなるよね。作者にいわれたんなら納得するしかないけど、ファンってだけで、何を貴様らそこまで威張るのか、と。
でも、同じ考えるんでも、「ゲスの勘繰り」より、「ブってる考察」のほうが、何か得るものがあるかもしれないじゃないか、と思いたい。考えることは、なるべく放棄しないほうがいい。
何より、Mがよく言う「このくだらなさがいいよね」っていう感想、言っちゃったもん勝ちなんだよなあ。
もう先手必勝で何も言わせない。「冗談通じないの?」ってやつだ。
(それにしたって、食いタン、そこまで面白くねーぞ、私は)
んで、一度「自分の理解力が無いという可能性は考えないの?」って言ってみたが(やんわりとね)、
「そんなことないよ。私は世間がわかりづらい、というハギオモト作品を愛してるんだから!
わかりづらいから嫌ってるんじゃないの!わからせる技術がないんだよ、宮崎には」
と怒られた。
Mよ・・・それは君が嫌う「ナルシスト批評家」と同じ穴のムジナだぜ・・・。
しかし、こういうMの意見に対して、不快感を感じながらも、反論できないのは、ジブリ映画を1~2回くらいしか見てないから・・・じゃなくて、恥ずかしいんだよね。
よくある映画のCM「考えさせられました!」っていう客のワンショット。あれ、すげー恥ずかしいよね。
何も考えてねーだろ、って、ついチャチャを入れたくなる。いや、ほんとはめちゃくちゃ考えさせられて、
人生観変わったかもしれないんだから、馬鹿にすんのはやめなきゃ。
とは言っても、「こう考えたよ」って人前で言うのって、恥ずかしい・・・。
それに、こんなふうに「考えさせてくれ、なんて頼んだ覚えはねーよ」っていうMのスタンスは、ある意味うらやましい。
私なんて、読書感想文のたびに、「こんな感想しか思いうかばないなんて・・・作者ゴメン」って泣きながら書いたクチだから、中学生まで本嫌いだったもんね。
話を戻そう
Mが、パヤオを「映画で伝える技量がない」と判断したシーンをいくつか挙げると、
・魔女の宅急便で、最後トンボを助けて魔法の力が戻ったのに、ジジが喋れないのはなぜ?
・千と千尋の神隠し、で、千尋の母さんがなんであんなにつめたいの?
いくつか、って言ったけど、そんなになかったか。他にも色々あったけど、わすれた。
Mに言わせれば、「思わせぶり」なんだって。映画の中だけで判断できないものを断片的にいれて、
単純な観客を惑わしている、と。
というわけで、恥ずかしさを捨て、次にMに会うときの為に、上の「ジブリの思わせぶりシーン」について私なりに考える。とりあえず、魔女の宅急便について。
●魔女の宅急便
魔女の宅急便て、ジブリの中でもテーマがかなり明確だよね。たぶん。
この年頃の子って、今まで意識しなかったものを急に意識しだして、
好きだったものが急に嫌になっちゃったり、
自分も誰も傷つけたいとは思わないのに、自分が可愛くて、周りを傷つけたり。何かとスムーズにはいかない。
私なんか、13歳て言ったら、そりゃあ、暗澹たる時代だったなあ・・・。
だから画家の女との対話のシーンなんか、うらやましかったよ。
先に迷ったことのある人間と触れ合える機会って現実じゃ、そうそう無いしなあ。絶対あったほうがいい。
んで、最後は大事な人を救う過程で、自分の魔法を使う目的が見えて、迷いが消えて・・・・
でもこの作品、これが正解、とは言ってないよね、たぶん。
この「人を救う道」も、一つに過ぎない、と。
このクライマックスはたまたま、友人の危機に遭遇した場合の話で、
じゃあこれがなかったら、キキは自分の価値を見出せないままなのか?っていうと、そうでもないと思う。
ここまで派手なイベントがなくたって、人間は生きていく以上、身の回りで起こる物事を前に、
立ち止まって、色々考えるのだ。少なくとも、キキにはそういうふうにできる素地があると思う。
あのクライマックスを「たくさんあるうちの一つ」といいたいのは、人が自分の価値を考えるとき、「人のためになる」ことを大前提とするのって、結構危うい考えじゃないか、と思うのだ。
だって、必ず自分の周りには不幸な人、不自由者がいないと報われない、っていう構図に結びつく危険があるから。頼られることに最大の喜びを感じるのって、どうなんだろう、って思っちゃうんだ。別にボランティアとかを否定してるわけじゃないよ。
あくまで、「人のためになることが一番」ってわけじゃない、というわけ。いろんな人生の喜びがあるからこそ、人間て面白い。
キキが飛べなくなって、ほうきが折れるまで練習、年上のよき相談者との対話、それから、不恰好なデッキブラシをまたいで飛ぼうと苦心するまでの下りってのは、「人が自分の人生を試行錯誤する姿」をわかりやすい形に凝縮した、かなり濃厚なドラマだ。
キキはこれからも色々悩むだろう。だけどキキは、迷うことを怖がらない強さを手に入れた、と思う。
だから最後にやっぱりジジと言葉が通じなくても、優しくほお擦りする(このときのキキの表情はイイ!)、安心して問題を受け止める、そんな可能性を見せてくれるのだ。
ああ、いい映画じゃねえか・・・。感想というよりも、自分がそう思いたい、っていうのが先行してるかもなあ。
でも、いろんな解釈が生まれる映画ってのは、やっぱり面白い映画だとみなしていいと思う。
ま、とにかく、今日の結論は
けなすのは作品だけにして、それを好きな人までけなすのはやめようぜ、ってことだよね。
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ものの評価は人それぞれですからね。
自分と相反する評価にマジになって反論しても・・・
Mさん、恐らく語っている時は相当自分に酔っているのでしょう。
はじめまして、えぬと申します。
よろしければこちらのリンクを貼らしてもらってもいいでしょうか?